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ブラジリアン柔術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブラジリアン柔術(ブラジリアンじゅうじゅつ、Brazilian jiu-jitsu)とは、ブラジルに移民した日本人柔道家・前田光世が自らのプロレスラーなどとの戦いから修得した技術や柔道の技術をカーロス・グレイシーなどに伝え、彼らが改良してできた格闘技、武術。ブラジルではリオデジャネイロを中心にサンパウロやクリチバなどで、長年にわたって盛んに行われている。
ブラジリアン柔術は、近年の格闘技ブームと、寝技の組み技主体であるが故の安全性の高さや、全くの素人からでも始められる敷居の(良い意味での)低さから、競技人口が急速に増加している[要出典]。これらのこともあり、知名度は古流柔術を凌いでいる。BJJとも表記される。
技術面においては、いわゆる高専柔道の影響も受けている(三角絞めなど)
ブラジリアン柔術は「柔術競技」「バーリトゥード」「護身術」を3つの柱にしている。
稽古は「柔術競技」を中心に行われ、この競技において上達すると「バーリトゥード」で強くなるように考えられている。しかしながら、柔術競技は寝技の組み技が主体のため、安全性が高い着衣格闘技である。
「バーリトゥード」は原則着衣無しの『なんでもあり』の試合(総合格闘技)で、稽古では「柔術競技」との細かな技術的な違いを中心に教えられる。
「護身術」は不意打ちや対武器術をも想定した実戦用の稽古であり、立ち技が中心である。伝統的な武術の一課である古流柔術に近い技法が多い。バーリトゥードや護身術の技は一見危険であるが、柔術競技の様に乱取り稽古を多くは行わないので実際は危険は少ない。古流柔術も乱取りをあまり行わないので、実戦用の技は乱取り稽古に向かないと言う点で共通の考えを持っている。しかし、前田光世には嘉納治五郎、講道館四天王とは違い古流柔術の経験はないとされるので、このような共通点がなぜあるかは不明である。
他の武術・格闘技では、実戦=なんでもあり=バーリトゥード、と考えがちだが、ブラジリアン柔術ではバーリトゥードと護身術を区別して捉えている。ただし、一部を除いて、日本のブラジリアン柔術の道場では、完全な競技柔術のみを教えているところが多く、護身術の稽古はあまり行わない。修行者も、競技柔術のみしか興味がない場合も多い
1993年11月12日、グレイシー柔術のエリオ・グレイシー(カーロス・グレイシーの弟)の息子ホイス・グレイシーが、第1回UFC(反則攻撃が目潰し、噛み付き、金的の3点のみの格闘技大会)で参加選手中、最軽量だったにもかかわらず優勝し、一躍ブラジリアン柔術が脚光を浴びた。その結果、全米中の格闘技の道場やジムでブラジリアン柔術が普及し始めた。
しかし、当初はブラジリアン柔術が力を入れる寝技の組み技の様な技術が重要であったが、次第に総合格闘技での戦い方が研究され、その技術の修得は当たり前になっていった。加えて、道場の数が普及した事により今までの最強神話やカリスマ的な魅力が薄れ始めた。普段の稽古、競技の安全性の高さと知名度、普及度の低さを考えるといまだに総合格闘技での強さは評価すべきものがある[要出典]。
一方で、柔道競技の寝技軽視に満足しない、あるいは柔道に活かそうとした柔道家たちの関心を集め、ブラジリアン柔術の寝技技法が積極的に柔道に取り込まれつつある。他の寝技のあるメジャー格闘技と違い、競技規則や技法の多く(パスガード、スイープの技術など)に共通点があり、相互の乗り入れが容易、有用なため、多くの柔道家の関心を集めている日本では「柔術」というと古流柔術のことを指すことが多いが、明治時代には、講道館柔道は柔術の一流派としており、まだ柔術と柔道を明確に区別する習慣がなかった。例えば、『坊っちゃん』と『三四郎』は1906年(明治39年)と1908年(明治41年)に書かれたものであるが、夏目漱石はこれらの作品で柔道の事を「柔術」と書いている。講道館で柔道を修業した者も自分の技を「柔術」と称することが多かった。英国では『嘉納柔術大観 The Complete Kano Jiujitsu』という本が、嘉納治五郎の弟子の日本人と英国人の共著で1905年に刊行されている。ロシアのサンボの発祥の元となった広瀬武夫中佐の場合も同様である。広瀬も講道館で修業したが、ロシアでは柔術家として知られ、「サンボは柔術から影響を受けた」と言われている
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