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青木真也との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木 真也(あおき しんや、1983年5月9日 - )は、静岡県出身の柔術家であり総合格闘家。柔道をバックボーンとする。Team Roken→パラエストラ東京所属。
組んだ状態からの跳びつき腕十字・三角絞め・スピニングチョークなどの寝技の仕掛けの上手さから、跳関十段(とびかんじゅうだん)の異名を持つなど、現在の総合格闘技の軽量級最高峰の寝技師と呼ばれている。
東海大第一中→静岡学園高→早稲田大学と柔道部に在籍。柔道時代からさまざまな格闘技に通じ、跳びつき腕十字・脇固め・スピニングチョークなど、柔道においては特異な技の数々で勝利をものにしてきた。その結果全日本ジュニア強化選手まで進んだが、その格闘技観の違いから「極」を重視した格闘技へと活躍の場を移すことを決意。サンボと柔術、コンバットレスリング、総合格闘技などでその実力を表している。
2003年11月24日、club DEEP 4thで行なわれた82kg以下級トーナメントで優勝。
2004年10月30日、DEEP 16th IMPACTにおいて中尾受太郎と対戦。寝技を駆使し試合を優位に進めるも、スタンドの打ち合いで左ストレートをまともに食らいKO負け。
2005年1月29日、初参戦となった修斗でキース・ウィスニエフスキーに腕ひしぎ脇固めで一本勝ち。
2005年5月28日、アブダビコンバットでは、77kg未満級の2回戦でマルセロ・ガッシアと対戦、たやすくバックを許し、チョークスリーパーで一本負け。翌5月29日には無差別級の1回戦でホジャー・グレイシーと対戦。全く何もできずにアキレス腱固めで一本負け。
2005年8月20日、修斗参戦3戦目で、かつて「修斗の象徴」とも言われた桜井"マッハ"速人に判定負け。
2005年10月19日、カリフォルニア州で行われたヒクソン・グレイシー主催のブドーチャレンジ77kg未満級トーナメントに参戦。決勝でキャメロン・アールに一本勝ちし優勝を果たす。
2006年2月17日、修斗参戦5戦目にしてミドル級王者菊地昭に判定勝ち、史上最短の第5代ミドル級王者となる。
2006年3月に大学卒業後、警察官となり警察学校に入るが2ヶ月で退職し、プロ格闘家一本へ。
2006年8月26日、PRIDE武士道に初参戦、ジェイソン・ブラックを相手に三角絞めで秒殺。その試合で着用した黄色のロングスパッツもあいまって大きなインパクトを残した。
2006年10月14日、修斗でのチャンピオンカーニバルでは、ジョージ・ソテロポロスと対戦、金的攻撃による反則勝利。
2006年11月5日、PRIDE2戦目となるPRIDE武士道 -其の十三-では、クレイ・フレンチと対戦、跳び三角絞めで一本勝ち。
2006年12月31日、PRIDE男祭り 2006に参戦し、ヨアキム・ハンセンと対戦。レインボーカラーのスパッツ&マウスピースといういでたちで登場、体格差も助けとなり開始早々にグラウンドに引きずり込みフットチョークで一本勝ち。
2007年2月17日、修斗・横浜大会で菊地昭と修斗世界ミドル級チャンピオンをかけた防衛戦を行ない、三角絞めやオモプラッタを交えた絞め技、関節技でグラウンドを完全に支配するも、菊池のパウンドで若干ポイントをとられ、2-1のスプリットデシジョンで王座防衛を果たした。
2007年3月には師である今成正和が所属するDEEP GYMに自らが指導するクラスを開始させた。
2007年4月8日、PRIDE.34においてブライアン・ローアンユーと対戦。ローアンユーのパウンドや膝蹴りでダメージを負うも、冷静に下からアームバーを極め一本勝ち。
- 2003年 - アブダビコンバット 日本予選出場
- 2003年 - 全日本サンボ選手権大会 82kg級 第3位
- 2003年 - DEEPフューチャーキングトーナメント 優勝
- 2003年 - 全国体育系学生体重別選手権 81kg級 優勝
- 2004年 - イサミ杯 優勝
- 2004年 - 全日本ブラジリアン柔術オープントーナメント 優勝
- 2004年 - 何気杯 優勝
- 2004年 - 全日本サンボ選手権大会 優勝
- 2004年 - 全日本ブラジリアン柔術選手権大会 アブソリュート級 優勝
- 2004年 - ブラジリアン柔術コパアクシス紫帯メジオ級 優勝
- 2005年 - ブドーチャレンジ ミドル級トーナメント 優勝
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