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ヴァンダレイ・シウバとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァンダレイ・セザール・ダ・シウバ(Wanderlei César da Silva、1976年7月3日 - )は、ブラジル出身の総合格闘家。元シュートボクセ・アカデミー所属。ニックネームは戦慄の膝小僧。参戦当初は「ヴァンダレイ・ダ・シウバ」と紹介されていた。初代PRIDEミドル級王者。
ムエタイを主体としたファイトスタイルから繰り出される膝蹴りは驚異的で、「戦慄の膝小僧」の異名を持つ。ガイ・メッツァー、ダン・ヘンダーソン、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンなどの強豪を打ち破り、2002年の対ミルコ・クロコップ戦ではスタンド力に勝るミルコと互角に打ち合い、時間切れ引き分けで終わった。常にアグレッシブに攻める姿勢は、数多くの名勝負を作ってきている。
PRIDE初参戦から、2004年12月31日のPRIDE男祭りでヘビー級のマーク・ハントに判定負けするまでPRIDE無敗を誇り、無敗時代には「ミドル級絶対王者」と呼ばれていた。
ファイトスタイルとしては、狙いすまして威力の高いパンチを当てる強打型ではなく、前進しながら回転の速いパンチで攻める連打型である。 そのため攻撃時は防御がおろそかになる傾向があり、攻撃の最中に逆に相手の打撃(カウンター)を喰らう場面も少なくない。また、打撃を主体として戦うストライカーではあるが、柔術についてもある程度の技量を持つ(黒帯所持)。
BVF、IVC、UFCを歴戦し、1999年9月12日のカール・マレンコ戦でPRIDE初参戦。
2000年4月14日、日本で行われたUFC 25でUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王座を巡りティト・オーティズと対戦。判定で敗れる。
2001年11月3日、PRIDE.17で新設されたPRIDEミドル級王座をかけて桜庭和志と再戦。TKOで勝利し、初代PRIDEミドル級チャンピオンとなった。回転の速いパンチと膝蹴り、強力なパウンドなど圧倒的な攻撃力を誇り、王座獲得以来5年以上に渡ってタイトルを保持した。
2006年7月1日、PRIDE無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDを欠場したエメリヤーエンコ・ヒョードルに代わって出場、藤田和之と対戦。体重、体格に勝る藤田を後ろに下がりながらのパンチでKOする。
2006年9月10日、PRIDE無差別級グランプリ 2006 決勝戦の準決勝では、ミルコ・クロコップとの因縁の再戦が実現する。体重を増やして臨んだせいか、序盤からベストコンディションで臨んだミルコの打撃に圧倒され、1R終了直前にミルコの左ハイキックの餌食となりPRIDEでは初めての失神KO負けを喫する。
2006年7月8日、UFC 61の会場に姿を現し、オクタゴンの中に入りUFCライトヘビー級王者のチャック・リデルとの対戦を要求した。10月21日のPRIDE.32でも大会途中に再び対戦を要求している。
2007年2月25日、PRIDE.33でダン・ヘンダーソンとミドル級タイトルマッチを行ったが、3R3分6秒にKO負けを喫し、5年余りの長きに渡って保持していたチャンピオンベルトを失った。その後、試合前に40℃もの熱があり、風邪薬を服用してまでも試合に臨んだことが発覚した。
2007年8月、UFC公式サイトにてダナ・ホワイト社長と契約を交わすシーンの一部始終が公開され、12月の大会で、UFC 25以来実に7年半振りのUFC復帰戦が決定した。
それに前後して、シュートボクセ・アカデミーからの脱退、および、ランディ・クートゥアのジムエクストリーム・クートゥアでトレーナーを務めることが決定した。
- ファンからの支持がまだ薄かった頃、ヒール役としてPRIDEのリングに君臨していた顔も持つ。また、シウバ率いるシュートボクセ・アカデミーの最大のライバルチームであるブラジリアン・トップチームのアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラなどにリング上で唾を吐きかけたりと悪事を働いたこともあり、トップチームのファンからは非難が相次いだ。
- マウリシオ・ショーグンやムリーロ・ニンジャなど彼の弟弟子にあたる人間に対してはとても面倒見がよく、温厚に接する。人一倍チームメイト思いとして有名。
- カエルが大の苦手とジャンクスポーツで発言している。
- 400戦無敗の男ヒクソン・グレイシーに対して、「アイツは試合をしない」や「弱い」などの発言をしている。
- かつて3度戦った桜庭和志とは仲がよく、桜庭から受け取ったサクベルトや阪神タイガースのキャップを身につけて入場したこともある。
- 今では想像がつかないが、子供の頃はいじめられっ子で肥満体型だったらしい。父親はヴァンダレイとよく似た顔をしている。
- 総合格闘技でデビューした頃はファイトマネーなどは一切出ず、叔父から「まともな仕事を探してあげるから、もう格闘技はやめなさい。」と体と将来を案じて言われた。
- PRIDEで稼いだ賞金を元に株取引に手を出すも失敗。愛車が盗難に遭うという不幸も乗り越え、現在はWANDというオリジナルブランドを展開する実業家としての顔も持つ。
- 日本のうどんが好物であり、来日の際は毎回はなまるうどんに行き大盛り肉うどんを2杯たいらげるという。
- PRIDEの恒例イベントである「けやき広場イベント」の「チャンピオン祭り」では、自身の握手会に来てくれたファンに自分のニット帽をあげたり、参加していないファンを気遣って握手をしたりと、ファンに対するサービスは格闘家の中ではNo.1の呼び声も高い。
- 週刊少年マガジン連載中の「もう、しませんから。」の題字を作者の西本と対決した折に書き下ろしている。